地理的にはコンパクトでありながら非常に豊かで多彩な文化を持つ東南アジアは、一世紀にわたる植民地主義を経験した後、民族主義、軍の独裁、都市化、そして新自由主義を経て現在にいたっている。その認識論的暴力の歴史は、場所、そして自己の「ずれ」をテーマにした非常に豊かなコンテンポラリーの表現を生み出しつつある。TPAMでは今後そうした錯綜した歴史の遺産と複雑な様相を呈する今日の現実を捉えようとするアーティストや作品を取り上げていこうと思う。インディペンデントで活動するコンテンポラリーのアーティストの目を通して、私たちは身体や身振り、言語を形成していく文化横断的なプロセスの中から不可避的に立ち起こるアイデンティティの多層的な反復や遷移を体験していくだろう。
アイサ・ホクソン(フィリピン)の三部作やムラティ・スルヨダルモ(インドネシア/ドイツ)の作品は、女性のパフォーマンス性に関して実に多くの読解を可能にしてくれる。彼女たちの身体が複数の文化空間を行き来しながら生み出す表象や思索は深くかつ不安定なものを秘めている。アイサ・ホクソンは仕事として演じているポールダンスのショーを芸術の分野へと移植することによって自身のイメージを拒絶し、その後、マニラのサブカルチャー的なクラブのマッチョダンサーへと生まれ変わり、ついにはフィリピンからやってきて日本のサラリーマンが通うスナックのホステスをする、いわゆる「ジャパゆきさん」へと自らの身体を接ぎ木していく。一方、ムラティ・スルヨダルモは『EXERGIE – butter dance』の中で執拗な繰り返しの行為へとその身体を差し出し、また長時間にわたる作品『I LOVE YOU』ではインドネシアからドイツへと移り住む顛末を追いながら、儀式的な身体へと回帰することによって、心の平静とは何かを問いかける。
同じくインドネシアのエコ・スプリヤントはジャワ島中部から遠く離れたジャイロロへの旅で、海の生活を営む若者たちと出会う。しかし、そこは宗教的な対立の渦巻く場所でもあった。スプリヤントは彼が発見した新しい「コミュニティ」との対話を重ね、時間をかけてパーソナルと芸術の両面で彼らとの関係を築いていった。そしてさまざまな側面における「違い」に折り合いをつけながら『Cry Jailolo』を創作し、「個人」と「集団」との間のコラボレーションの倫理、そして今日のパフォーマンスにおいて政治的に何が問題とされているのか、このふたつを探求している。